ワシントン大学タコマキャンパス訪問の話
朝家を出ると吐く息が白くなります。寒いです…。
ワシントン大学にはキャンパスが3つあります。
一番学生数が多い(メイン)キャンパスは私も通勤しているシアトルキャンパス。そのほかに、シアトルの南側にタコマキャンパス、北側にボセロキャンパスがあり、それぞれのキャンパスごとに学部生~院生が過ごしています。
今回タコマキャンパスを訪れたのは、今ワシントン大学で整理しているアーカイブ資料が、タコマの地に深いかかわりがあるからです。というのも、そもそもはタコマの地にあったタコマ日本人會関係の資料をシアトルキャンパスに移動し、スペシャルコレクションとして管理、そして現在整理をしています。
シアトルといえば日本人の誰もが知っているような大きな都市ですが、かつて日本人が入植を始めた当初、ワシントン州と日本を結ぶ港町は、シアトルではなくタコマにありました。ワシントン州の日本領事館も、当初はタコマにあり、日本とシアトルを結ぶ航路が開拓され領事館がシアトルへと移るまではまさにワシントン州最大の港町なのでした。
シアトルのダウンタウンに負けず劣らずの坂の街です。
現在タコマキャンパスでは、かつて日本人が住んでいた歴史を残すためのプロジェクトに取り組んでおり、例えばその一つに元タコマ國語学校の生徒だった人たちから歴史を伝えきき保存する、Oral history projectがあります。
今整理している資料にもタコマ日本人會で管理していたタコマ國語学校の資料が多く含まれており
、今回タコマキャンパスで上記の日本人(日系人)関係のプロジェクトに携わるライブラリアン、教員の方々とともに、タコマにかつてあった日本人街の名残(建造物、記念碑)を巡りました。
他にもタコマでJapanese Americanに関する記事を書かれているライターの方ともご一緒したのですが、「Tacoma Japantown Walking Map」というアプリケーションを作成された方で、こちらの地図にタコマにある日系人関連の地を知ることができます。
巡る、といっても実はタコマキャンパス自体が、かつての日本人街の名残の一部でもあり、キャンパス内に、かつてこの地にあったタコマ國語学校の記念碑、そして日本人街があった当時からの建物が校舎として改装され、残っているものもあります。
タコマキャンパスがあるこの一帯は、太平洋戦争にともなう日本人の強制収容時に、一度日本人街は消え、その後何十年もそのまま放置された建物もあり、大学でこの地を再興するまでは荒れていたエリアでもあったそうです。
さてさてキャンパスですが…
シアトルキャンパスにもあるWマーク。そんなに大きくないキャンパスなので、目立ちます。
キャンパスのメインストリート沿い。
訪問した日は9月27日だったのですが、ちょうど秋学期が始まった直後でイベントもやっていたりと賑やかでした。そしてこの日はちょうどタコマキャンパス設立20年!という記念すべき日でもありました。
キャンパスがあった地はかつて電車も走っていた、ということで線路もそのまま保存されています。そしてその傍らにある國語学校(日本語学校)記念碑。
ちなみに上の写真右は「Maru」という作品です。
ちなみに今回タコマの図書館はゆっくり見ることはできなかったのですが、図書館があった場所はかつての駅の電気室だったそうです。
現在はArt Studioとして使用されている旧Japanese American Methodist Episcopal Church。
キャンパスから坂上に向かうと、かつての日本人街のマーケットストリートがあります。今は住宅街?という雰囲気です。
訪問した場所の中では、こちらのTacoma Buddhist Templeをじっくりと見学させていただきました。
こちらの建物は1931年に、当時の日本人コミュニティの寄付により建設されたそうです。
ステンドグラスが蓮の花だったりミニ梵鐘があったりと、所々に和を感じます。日曜学校があったり、図書室があったりと、昔も今もコミュニティの集い場として機能しています。
タコマは一人でも行こうかなぁと思っていたところに、このように色々話を聞きながら訪問できる機会をいただけたので、とても貴重な経験でした。
まだ資料の整理が終わらないので残りの期間も頑張ります…!
~おまけ~
図書館横のカフェには何故かやたら自転車が飾られてました…理由はわからず…。